【和食器】益子焼の買取価格と概要
「益子焼」とは、栃木県の益子町周辺を生産地とする和食器です。
益子は多数の作家が窯を開く土地でもあり、デザイン性に富んだ多種多様な益子焼も生まれ、若い世代からも支持を得ています。
毎年春と秋に行われる"益子陶器市"は食器や美術品など沢山の益子焼作品が販売され、多くの人で賑わいを見せる一大イベントです。
益子焼の歴史は食器の中でも比較的新しく、江戸時代末期に大塚啓三郎という人物が益子の地に窯を開いたことにより始まります。
大塚啓三郎は、益子での開窯前に茨城県の笠間で和食器の修行を詰んでいたため、益子焼のルーツは笠間焼の流れを汲んだものだとも言われています。
益子焼が生まれたとき、既に日本の食器の歴史はかなり進んでおり、色絵の食器や壺などの華やかな品が数々生産されている時代でした。
ですが当時の益子で生産される品はほとんどが日常用の食器だったとされ、使いやすさや飾らない風合いが持ち味としての評価を受け、江戸にも多くの品が運ばれていました。
そんな益子焼は、1926年頃より始まった柳宗悦の民芸運動がきっかけで転換期を迎え、脚光を浴びました。益子焼の素朴な佇まいは、まさに民芸運動の"日常の様の美"に沿ったものであったのです。
かつてより益子焼に心惹かれていた陶芸家・濱田庄司は、民芸運動の推進者でもありました。
濱田庄司は1924年に益子の地へ移り作陶を開始、これまで日常品として広まっていた益子焼は芸術品としても高く評価されるようになりました。
ひとくちに益子焼といっても、作家や製作年代によって価格や価値は大幅に変わってきます。
例えば益子陶器市では、普段出回らないようなB品を安く入手することも出来ますし、逆に人間国宝や著名な作家の益子焼であれば、何百万円もの価値がつくことだってあるのです。
それでは、幾つかの例を挙げて益子焼の参考買取価格と商品概要を紹介します。この参考買取価格に関しては食器買取の営業をしていた知り合いに聞いた金額であり、かつこのページを作った時点での価格ですので、あくまでも益子焼の参考買取価格であり、買取業者によっては金額が上下する可能性もあるという事をご了承ください。
【益子焼】濱田庄司作品の参考買取価格
【益子焼】島岡達三作品の参考買取価格
【益子焼】佐久間藤太郎作品の参考買取価格
他の種類の和食器の情報について知りたければ次のページで紹介していますので、そちらもご覧ください。
和食器買取でおすすめなら【日晃堂】
単純に和食器の買取となると福ちゃんと日晃堂では甲乙つけがたいですが、有田焼などの焼物とアンティークは密接な関係にあり、特に和食器の中でも作家物と呼ばれる高価食器はほとんどが骨董品です。そう考えると和食器の買取は日晃堂がおすすめと言えます。
益子焼を少しでも高く買取してもらうために
益子焼とは一言に言っても、作品の作られた時期や完成度によって価値は様々ですし、作家物といった価値が時価によって判断される益子焼の場合は食器買取業者の査定員の腕によっても益子焼の買取価格が大きく異なります。更に、一般的なブランド食器とは異なる価値観を有している益子焼は食器買取業者の在庫状況や販売経路の有無によっても買取価格は大きく異なります。
ですので、益子焼を少しでも高く買取してもらいたいという事であれば複数の業者への相見積もりをおすすめします!こちらのページでも相見積もりについてご説明していますので参考にしてください。また、益子焼でも在庫状況等の業者事情によって買取を断られる事もありますので、益子焼を買取してもらえる業者を探す意味でも相見積もりを取る事が重要です。
そして、益子焼の相見積もりを取る際のおすすめ食器買取業者については下記ページにてランキング形式でご紹介していますので、そちらも是非参考にしてください。