おすすめ食器買取業者の長崎県での口コミ・評判とは?
このページではこちらで紹介している過去の私の経験からおすすめの食器買取業者に対して長崎県から寄せられている口コミ・評判情報をピックアップし紹介していきます。長崎県においてブランド食器から和食器など食器全般の買取をお考えなら、当ページの口コミ情報もご覧ください!
このページでご紹介しているおすすめ食器買取業者は長崎県内全域で食器買取の相談から対応していますので、長崎市はもちろんのこと、佐世保市や諫早市、大村市や南島原市など、長崎県内全域にて気軽に食器買取の相談ができるのも魅力です。長崎県で食器買取の検討なら是非参考にしてください!
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おすすめ食器業者業者の長崎県での口コミ・評判
では、おすすめ食器買取業者の簡単な概要と長崎県における口コミ・評判をご紹介します。
【食器買取で総合的におすすめ】買取福ちゃん
【買取福ちゃん】食器買取データ
受付時間 | 9:00~21:00 |
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買取依頼の費用 | 完全無料(クーリングオフも可) |
相談のみの受付 | 対応可能 |
食器買取福ちゃんは食器の買取もかなり専門的に行っている買取業者ですので、ブランド食器の買取はもちろんの事、和食器やアンティーク食器など様々な食器を総合的に買取して欲しい時は特におすすめです。初めての方でも安心して利用可能な雰囲気の対応もおすすめです
長崎県で福ちゃんの食器買取サービスを利用した方の感想
長崎県長崎市在住
50歳代男性 / 出張買取
- これまでの買取サービスの利用回数は?
- 2回目
- 今回の買取サービス満足度は?
- 大満足
- 買取をお願いした食器
- セーブルの食器セットなど
- 次回も利用したいですか?
- 機会があれば利用したい
- 福ちゃんの買取サービスで良かった点は?
- 食器買取専門店だけあり、ブランド食器の価値をしっかりと理解している点が素晴らしいと思います。長崎県にあるリサイクルショップなどに食器を売りに行きましたが、とてもじゃないけど、納得できる買取額ではありませんでした。福ちゃんの食器買取サービスは、無料で専門的知識が豊富な査定員が、長崎まで査定に来てくれるのがいいですね。セーブルの食器セットも、十分に満足できる買取額を付けていただきました。
- 福ちゃんの買取サービスで悪いと感じた点は?
- 繁忙期だったみたいで、出張買取に来てもらうまで約1週間ほど待ちました。今回は別に急いでなかったので問題ありませんでしたが、査定に来るまでのスピードがもっと早くなれば、言うことなしですね。
- お客様の感想があればご記入ください
- 今回は満足のいく買取をありがとうございました。ブランド食器を売る機会があれば、次も福ちゃんを利用しようと思います。
【和食器・アンティーク食器買取】でおすすめの日晃堂
日晃堂の大きな特徴は骨董品買取専門店の延長として食器買取を開始しているという点です。その為、有田焼や備前焼といった焼き物(和食器)やアンティーク食器の買取に優れていますので、和食器を中心に買取依頼をする際に特におすすめできる業者です。
長崎県で日晃堂の食器買取サービスを利用した方の感想
長崎県佐世保市在住
60歳代女性 / 出張買取
- これまでの買取サービスの利用回数は?
- 3回目
- 今回の買取サービス満足度は?
- 非常に満足
- 買取をお願いした食器
- クリストフル、古伊万里の食器
- 次回も利用したいですか?
- ぜひ利用したい
- 日晃堂の買取サービスで良かった点は?
- はっきり言うと、査定員さんの質が他の買取業者と違いますね。食器の価値がしっかりとわかった人が査定してくれますし、アンティーク食器のこともちゃんと理解しているので、安心して買取をお任せできました。私は前回も日晃堂さんを利用していますが、長崎県で和食器を売るなら、日晃堂さんが一番いいと思っています。
- 日晃堂の買取サービスで悪いと感じた点は?
- 物足りないと感じたことじゃ、今までありません。今の所は、非常に満足しております。
- お客様の感想があればご記入ください
- いつも満足のいく食器買取サービスをありがとうございます。和食器を売るなら、もう他の買取業者では満足できません。今度は和食器の他に、骨董品の買取もお願いしようと考えています。
長崎県の市区町村群一覧
長崎県の市区一覧
西海市、雲仙市、佐世保市、長崎市、諫早市、島原市、五島市、大村市、対馬市、南島原市、平戸市、松浦市、壱岐市
長崎県の町村郡一覧
東彼杵郡東彼杵町、北松浦郡小値賀町、北松浦郡江迎町、西彼杵郡長与町、東彼杵郡川棚町、西彼杵郡時津町、北松浦郡鹿町町、南松浦郡新上五島町、北松浦郡佐々町、東彼杵郡波佐見町
長崎県にまつわる食器や焼き物について
日本では全国各地で様々な焼き物が焼かれていますが、焼き物と一言にいっても特徴や種類は様々で、生産された背景には多くの歴史もあります。このページでは長崎県の食器買取情報を紹介しましたので、長崎県で有名な焼き物についてもついでにご紹介させていただきます。
長崎県の「三川内焼」の歴史
天下統一を果たした豊臣秀吉が朝鮮出兵に乗りだします。慶長三年(1598)に秀吉が亡くなり、それを機に各地の大名が撤退し、同時に多く陶工を連れ帰ったのです。
平戸藩主である松浦鎮信も巨関という陶工を連れ帰りました。後に帰化し今村と名乗り平戸島中野村で中野窯を開きました。これが中野焼と言い、三川内焼の始まりです。
しかし中野村での陶土が不足してきたことから、巨関は息子の今村三之丞と共に陶土を探し、ついには息子の今村三之丞が寛永十年(1633)に白磁鉱を発見しました。
当時はまだ陶器が焼かれていましたが、時代の流れで磁器に変わることになります。まさに有田焼から遅れること約30年でした。何故ここまで遅れてしまったかと言うと、白磁鉱が確保できなかったことや、有田焼が技術を秘密にしていたことが原因だと言われています。
しかし寛永十四年(1637)に佐賀藩が朝鮮陶工を保護するために、有田焼の日本人陶工を追放するということが起こりました。これにより技術が三川内に入ることになり、1640年頃には磁器へと転換できたのです。その後慶安三年(1650)に中野村の陶工達が、平戸藩の命により三川内に移されました。
更に三川内焼は、御用窯と民窯に分かれており、藩が直営している御用窯は高級品が焼かれ、藩や朝廷そして幕府への献上品としていました。しかし民窯では日用雑器のみを作り高級品を作らないことが特徴でした。
長崎県で生まれた三川内焼の特徴
伊万里焼で有名な唐子絵は、白磁に藍色で唐子を描いたものです。唐子とは唐の子供達のことで、描かれている人数により使用する人が決められていました。七人唐子が描かれている場合は、将軍家や朝廷への献上品で献上唐子と呼ばれています。
他にも有名な技法があります。卵殻手は光に透けるほど薄く作られ、網代陶石のみを使用しています。箸より軽い茶碗をということで作られたそうです。また透かし彫りは華やかな模様で代表される細工物です。このように様々な技法を駆使して伊万里焼は発展し続けてきたのです。
三川内焼の「七人献上唐子」
一人唐子は大衆向け、三人唐子は武家、五人唐子は大名、七人唐子は将軍朝廷への献上品とされていました。この絵柄は三川内焼でしか作ることが許されていなかった伝統的なものです。愛くるしい表情をした唐子を丹念に描き、今にも動きだしそうな感じがします。藍色で表現された一筆一筆の線が子供や草木に命を吹き込んでいくのでしょう。細やかでみずみずしい作品です。